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麹町支部

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皇居

 

結成日 昭和34年9月18日
我が町我が支部 現在の千代田区は旧麹町区と旧神田区が昭和22年3月に統合されて誕生しました。当支部は麹町支部として皇居のお膝元に結成されました。江戸時代には大名屋敷や武家屋敷が多く、現在では各官庁や日本を代表する金融・商社などの本社ビルが建ち並ぶ日本の中枢とも言える地域です。昼間人口に対して夜間人口が著しく少ないという問題点も抱えています。

神田支部

神田川

結成日 昭和34年9月29日
我が町我が支部 麹町支部と並ぶ東京の中心に位置する千代田区内の支部として結成されました。名所・旧跡が多く、その代表的なところが神田神社(神田明神)や湯島の聖堂、ニコライ堂などです。明治天皇は明治7年9月、板橋区の蓮沼での陸軍演習を指揮なされた帰路に神田神社をご親拝になりましたが、境内にはその記念碑が建てられています。

日本橋支部


結成50周年記念式典
結成日 昭和34年9月14日
我が町我が支部 中央区は旧日本橋区と旧京橋区が統合して出来た区ですが、当支部は旧日本橋区を基に結成されました。明治45年7月明治天皇崩御に際し、旧日本橋区はいち早く明治神宮の東京鎮座についての請願運動を展開しました。また、明治神宮造営にあたって杜を植栽した植木職人たちの経験が、関東大震災の復興事業における日本橋浜町公園の樹木植栽工事に活かされました。

京橋支部


結成50周年記念式典
結成日 昭和34年9月16日
我が町我が支部 支部は中央区の旧京橋区を継承しています。支部管内にある明治天皇ゆかりの史蹟として浜離宮庭園がある。明治12年、米国第18代大統領を務めたグラント将軍が日本に来訪された際に、明治天皇が離宮内の中島御茶屋にお招きになり、国政についての意見をお求めになった場所です。残念ながらこの中島御茶屋は戦災で消失してしまい現存していません。

港支部


六本木ヒルズ
結成日 昭和35年6月14日
我が町我が支部 徳川家康の江戸入場を契機に、区内の金杉橋を起点に東海道が開かれ、また芝浦には船が集まるというように、港区は古くから陸海の要路でした。また、幕末以来外国公館が多く設けられ、現在でも都内の大半を占める外国公館が置かれています。区内には緑も多く、迎賓館赤坂離宮や東宮御所、明治天皇が度々行幸され外国の賓客を接待された旧芝離宮恩賜庭園などがあります。

新宿支部


一支部一事業
結成日 昭和34年9月17日
我が町我が支部 林立する高層ビル街に象徴される近代都市新宿。この名称は、一時動物園も併設されていた新宿御苑の名称から生まれ、区の名称になったものです。明治天皇は陸軍戸山学校や植物園(現新宿御苑)などご在世中に99回の行幸がありました。また、明治神宮外苑のある新宿区霞丘町は明治天皇の大葬の礼の行われたところで、現在はその跡地に聖徳記念絵画館が建っています。

文京支部


シビックセンター
結成日 昭和35年8月24日
我が町我が支部 文京の歴史は古く、古代から中世にかけては武蔵国の豊島郷と日頭郷と呼ばれ、徳川家康が江戸を本拠としてから本郷周辺では武家屋敷が建ち並ぶ町となり、小石川後楽園や六義園など大名庭園の面影を伝える庭園もあります。区内にある東京大学の卒業式には、優秀な学生に賞を授与されるため、明治天皇がしばしば行幸されています。

台東支部


雷門
結成日 昭和36年1月30日
我が町我が支部 台東区は旧浅草区と旧下谷区が統合され、上野谷中台地の東側にあるところから「たいとう」区という地名になったものです。浅草地区は三社祭で、入谷地区は「あさがお市」で有名です。また、動物園や博物館のある上野公園は正式には上野恩賜公園といって、明治9年5月9日の開園式には両陛下の行幸啓を仰いだほか、11年4月、12年8月にも行幸あらせられるなど、明治天皇との深いご縁を頂いています。

本所支部

隅田公園 御製碑
??隅田公園 御製碑
結成日 昭和35年8月15日
我が町我が支部 戦後、旧向島区と旧本所区が統合されて現在の墨田区になりました。地域には墨田公園や両国国技館などがあります。特に墨田公園は旧水戸徳川家の下屋敷跡で、明治8年4月4日、明治天皇が櫻の盛りの小梅村(旧名)の徳川昭武邸に行幸され、その祖父光國・斉昭らの勤皇の志をたたえてご下賜になった「花ぐはしさくらもあれどこのやどの 代代のこころをわれはとひけり」の御製の碑が行幸記念碑と共に公園内に残されています。

向島支部

明治天皇海軍漕艇天覧玉座阯の碑
明治天皇海軍漕艇天覧玉座阯の碑
結成日 昭和35年7月7日
我が町我が支部

遠く室町の頃から近代に及び、多くの文人墨客が集い、当地を舞台とした大衆文学が絢爛と花開いた向島は、心豊かな人情の町として人々に受け継がれてきました。明治天皇は明治6年と15年の2回、向島に行幸になり、隅田川での海軍水兵の端艇(ボート)競争などを天覧になり、昭憲皇太后様は明治6年4月、両国橋畔から汽船春風丸にご乗船、隅田川を上り桜をご鑑賞になっています。現在の早慶レガッタはこの行幸啓の栄に浴したことに因んで行われているものです。

江東支部


明治丸
結成日 昭和36年3月19日
我が町我が支部 昭和22年3月に旧深川区と旧城東区が合併してできた江東区は、江戸初期から現在に至るまで水運の要所として「川」を中心に発展してきました。富岡八幡宮の例祭は江戸三大祭の一つとして有名ですが、そのほかにも名だたる寺社が多く、名所が点在しています。明治3年、明治天皇は越中島練兵場に練兵天覧のため行幸されました。また、区内の東京海洋大学構内には、明治年奥羽北海道行幸の際に明治天皇がご乗船になられた「明治丸」が保存されています。

品川支部


夜景
結成日 昭和34年8月25日
我が町我が支部 品川区は旧品川区と旧荏原区が合併して誕生しました。都心と横浜を結ぶ幹線道路や数々の鉄道で活気溢れる地域です。歴史的には東海道五十三次の第一の宿場町として栄えました。明治元年、明治天皇のご東幸に際しては荏原神社に内侍所が設けられ、同社には当時の調度品が保存されています。また、大井にあった伊藤博文の旧邸内には、伊藤に下賜された帝国憲法草案審議の建物が「恩賜館」として保存されていましたが、明治神宮外苑造営に際し奉納され、現在は明治記念館本館となっています。

目黒支部


七五三詣着付け直し奉仕
結成日 昭和34年9月25日
我が町我が支部 目黒区は昭和7年に目黒町と碑衾町が合併して誕生しました。この地域は馬の牧(放牧場)が盛んに行われていたところで、駒場、駒沢、馬引沢など馬に因んだ地名も残っています。目黒という地名も「目」は馬、「くろ」は畔の意味で、馬牧の周囲のあぜ道のことで馬の牧から由来するといわれています。昭和2年に東横線が開通して市街化が進み今日の目黒区の原型が築かれ、特に近年は自由が丘や代官山など若い人にも人気のようです。明治3年、明治天皇は練兵天覧のため駒場野練兵場に行幸になっています。

大田支部


洗足池
結成日 昭和34年6月9日
我が町我が支部 大田区は昭和22年3月、旧大森区と旧蒲田区が合併して誕生しました。区内に大森貝塚、池上本門寺、洗足池、亀甲山古墳など名所旧跡を抱える大田区。江戸時代には「大森海苔」で有名な漁村地帯もありました。明治6年3月6日、明治天皇はご観梅のため「梅屋敷」に行幸されています。ここは江戸時代から梅の名所として広重の絵にも描かれ、今は区が管理する聖跡梅屋敷公園となっています。

世田谷支部


ボロ市
結成日 昭和36年12月4日
我が町我が支部 世田谷区は東京23区の西の端にあり、面積では23区内で最も広い区です。歴史は古く、「瀬田茅」と書かれた文献もあり、室町時代から武家の領地として小田原北条氏の時代には吉良家の15万石の城下町として栄え、徳川氏の時代には井伊家の領地でした。現在、沿線最大の催しとなっている世田谷のボロ市は北条氏の時代にこの地に開かれた楽市がその始まりといわれています。ボロ市こそ現代のフリーマーケットの元祖といえるでしょう。

渋谷支部


ハチ公
結成日 昭和34年7月18日
我が町我が支部 渋谷支部は明治神宮のご鎮座地であり、いわばお膝元の支部です。地域には全国の神社を包括する神社本庁があり、東京オリンピックのときに建てられた代々木国立競技場や代々木公園(戦前は代々木練兵場、一角には日本航空発祥の碑が立つ)があり、またファッションの発信地として全国的に名前を知られる原宿、表参道など、いろいろな表情があります。明治3年、明治天皇は駒場野練兵場への行幸の往復に際し、宮益坂の御嶽神社でご小憩されており、境内に記念碑が建てられています。

中野支部

百観音 明治寺
百観音 明治寺
結成日 昭和34年10月8日
我が町我が支部 中野区は昭和7年に旧中野町と旧野方町が合併して誕生しました。歴史は古く、青梅から石灰を運ぶための青梅街道の宿場として発展し、味噌や醤油、そば粉などを扱う店が盛んになったといわれ、現在も僅かですが地場産業として味噌などの食品産業が残っています。JR中央線や西武新宿線、地下鉄など交通の便もよく、都心へ近いことから人口密度は非常に高く、防災対策も考慮した、賑わいと環境が調和したまちづくりを進めています。

杉並支部

荻窪の中田邸 明治天皇御休所 跡
荻窪の中田邸 明治天皇御休所跡
結成日 昭和35年10月10日
我が町我が支部 杉並の地は妙正寺川、善福寺川、神田川の3河川が西から東へ流れ、先土器時代の石器などが発見されるなど大昔から良好な自然環境であったようです。また、時代が下ると、甲州・青梅・五日市の各街道沿いは宿場町としても繁栄しました。区名の由来は江戸時代初めの領主岡部氏が境界の印として青梅街道沿いに杉並木を植えたことによるといわれています。明治16年4月16日、明治天皇は埼玉県飯能での近衛兵演習天覧の途次、荻窪の中田邸にてご小休、また23日には小金井へ行幸の途次、英照皇太后、昭憲皇后とご一緒にご小休され、ご休所も保存されています。

豊島支部

木戸孝允別邸址碑
木戸孝允別邸址碑
結成日 昭和35年8月9日
我が町我が支部 豊島区は東京23区の中では最も小さい区ですが、「豊島」の地名は23区の中でも最も古い一つに数えられます。明治元年10月27日(旧暦)、明治天皇は大宮の氷川神社をご親拝されましたが、往復ともに中山道をお通りになり、途中、巣鴨の植木職内山長太郎家でご小憩になられました。また11月に御東幸に際してご祝儀として市民に酒肴が下賜され、豊島区内でも高田、池袋、新田堀之内などの各町村の名主一人ごとに下賜され、各町村では市民挙げて、祭礼のような賑やかさであったと伝えられています。また、明治天皇は明治9年・10年と二度にわたって重病の木戸孝允を駒込の染井別邸に見舞われましたが、現在、「明治天皇行幸所木戸舊邸」の石碑が建っています。

北支部


都電飛鳥山桜
結成日 昭和36年10月18日
我が町我が支部 北区は、昭和22年に王子区と滝野川区が合併して誕生しました。八代将軍徳川吉宗の肝煎りで1,270本の桜が植えられ花見場所として賑わった飛鳥山、紅葉の滝野川、王子七滝など古くから行楽の地として庶民に親しまれてきました。また、日本の近代製紙業の発祥の地でもあります。明治9年4月4日、明治天皇は大蔵省紙幣寮抄紙局(後の印刷局抄紙部)と王子製紙株式会社へ行幸、作業を天覧になっています。また、同日、飛鳥山(現飛鳥山公園)にもご登臨になっておられます。5月には英照皇太后、昭憲皇后も行啓されております。

荒川支部


天王祭
結成日 昭和34年10月30日
我が町我が支部 荒川区は東京都の北東部に位置します。地域的には下町情緒溢れ人情豊かなところです。区の北東部を迂回するように隅田川が流れていますが、この隅田川は昭和39年までは荒川と呼ばれ、区名に採用されました。隅田川というのは荒川下流部の呼び名でしたが、現在は荒川放水路を荒川と称し、放水路との分岐点となる岩淵水門から下流を隅田川としています。江戸時代には近郊農村地帯として注目を集め、明治以降は大きな工場が相次いで設立されましたが、昭和40年以降には産業構造の変化などにより大工場の移転が続き、その跡地には大学や大集合住宅が建設されるなど、新たな街づくりの拠点となっています。

板橋支部


一支部一事業
結成日 昭和37年4月7日
我が町我が支部 板橋という地名は、石神井川と交差する旧中山道に「板橋」がありますが、恐らくこの辺りに架かっていたであろう板の橋が区名に引き継がれたといわれています。この地が中山道の宿場として賑わうようになってからも徳川将軍の鷹狩りや皇女和宮の降嫁など、この「板橋」を渡った歴史上の人物は数多く、明治天皇も大宮氷川神社のご参拝に際し渡っておられます。明治11年8月30日、明治天皇の北陸東海ご巡幸のご出発に際し、英照皇太后と昭憲皇后は板橋宿までお見送りに行啓され、明治天皇と飯田春教宅にてご昼餐を召し上がられました。また、明治天皇は明治7127日、板橋区(当時は豊島郡元蓮沼村)に陸軍演習天覧のため行幸されましたが、往復とも板橋の飯田宅にてご昼餐、ご小休になっておられます。

練馬支部

石神井公園 三宝寺池
石神井公園 三宝寺池
結成日 昭和35年2月5日
我が町我が支部 「練馬」の歴史は古く、その地名は古代律令制下、武蔵・下総・両国府を結ぶ道に設けられた駅の名前「乗瀦(のりぬま)」が訛ったものだといわれています。江戸時代には練馬大根の生産地として、特に明治以降、全国的に有名になりました。地域の名勝としては石神井三宝寺池や大泉の井頭池などがありますが、三宝寺池と付近一帯は都の風致地区に指定されています。いわゆる高度経済成長期に急激に発展し都市化の道を歩み、地下鉄大江戸線の開通とともに都市としての機能と形態を整えつつあります。

足立支部


一支部一事業
結成日 昭和34年10月28日
我が町我が支部 東京の北東部・北辺を埼玉県に接する足立区は面積でも都内で3指に入る大変大きな地域で、崇敬会員も多い支部です。江戸時代には日光街道の第一番目の宿場町として栄えた千住宿は参勤交代の各大名に利用されました。また、明治天皇はご在世中、実に三度、千住の町にお立ち寄りになっておられます。明治9年6月2日、第1回の奥羽ご巡幸に際し、お見送りの皇后陛下と横尾邸中田屋という旅籠屋でご昼食の後、明治天皇は草加に向けてご出発されました。また、明治14年の奥羽北海道ご巡幸に際してもご出発の7月30日とお帰りの10月11日の両日、横尾邸にてご小休されています。

葛飾支部


柴又帝釈天
結成日 昭和35年1月29日
我が町我が支部 葛飾の地名は平安時代の『高橋氏文』や『万葉集』にも見え、歴史の古さがうかがわれます。葛飾といえば映画「男はつらいよ」でお馴染みの柴又帝釈天や「野菊の墓」の舞台となった矢切の渡しが有名です。また、堀切の花菖蒲も江戸時代から有名ですが、明治天皇はことのほか堀切の花菖蒲を愛でられたご様子で「いとまあらばゆきてもみまし堀切の 池に咲くてふ花あやめぐさ」などの御製をお詠みになっておられます。明治17年12月、明治天皇は茨城県女化原での近衛兵の大砲演習天覧に行幸の途次、新宿(にいじゅく)でご小憩されました。その折に中川の亀有と新宿の間に仮橋が架けられ「行幸橋(みゆきばし)」と呼ばれました。現在の中川橋です。

江戸川支部


親水公園
結成日 昭和34年10月24日
我が町我が支部 東京の東の玄関口である江戸川区には、区名の由来となっている江戸川をはじめ、荒川や中川、新中川、新川や左近川といった河川が区内の縦横に流れており、時代とともに区民の生活と深く関わってきました。当地の歴史は、利水から治水に、更には親水へと水とともに歩んできた歴史であり、荒ぶる川との戦いの時代もあれば、世界で初めて造られた「古川親水公園」は、急激な都市化で死に瀕した河川を蘇らせ、共に生きるという川を愛する区民の心そのものと言えます。現在、当支部は崇敬会の中でも一、二を争う会員の多い支部です。