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八王子支部


武蔵野陵
結成日 昭和35年8月30日
我が町我が支部 江戸時代から甲州街道の宿場町として栄えた八王子。関東の霊場高尾山をひかえ、市の三分の一近くが緑の丘陵である。その中に杉木立に囲まれた多摩、多摩東、武蔵野、武蔵野東の四御陵が祀られています。明治13(1880)年6月、明治天皇には山梨・三重・京都ご巡幸の折、八王子寺町の谷合弥八邸を行在所とされました。この日沿道の家々の前には紫色の縮緬幕が張られ、新調された日の丸の旗が立ち並ぶ中、人々は天皇の鳳輦馬車を中心とした大行列を拝し、新しい時代を迎えたことに感激して涙したと伝えられています。

立川支部


昭和記念公園
結成日 昭和36年6月29日
我が町我が支部 立川市は、JR中央本線、南武線、青梅線が乗り入れ、多摩地区最大の乗車人員数の立川駅と、多摩地区を南北に結ぶ多摩都市モノレール線の立川北駅、立川南駅があり、多摩地域の中心的な都市です。JR立川駅周辺は商業や業務などの機能が集まり、市域の中央部分には国営昭和記念公園や広域防災基地、自治大学校などがあるほか、国の省庁移転による拠点整備も進められています。また、市域の北部は都市農業や武蔵野の雑木林など緑豊かな地域を形成され、近代的な街並みと郊外的な潤いが共存する街です。

武蔵野支部


支部結成50周年記念大会
結成日 昭和35年6月26日
我が町我が支部 明治22(1889)年に吉祥寺・西窪・関前・境の4ヶ村と井口新田飛地が合併して武蔵野村が誕生しました。その頃は神奈川県に編入されていましたが、明治26(1893)年に西多摩・南多摩の2郡とともに東京府へ移管され、東京府北多摩郡武蔵野村となりました。現在、人口は13万5千人を超え、住宅と商業サービス産業都市でありながら、武蔵野の自然・農地が良く残されて、農家と市民の交流事業や、地産地消を進める取り組みもおこなわれています。なお、明治神宮御造営の際には武蔵野の林相を根底に境内の杜造りが検討されたと聞いております。

三鷹支部


井の頭公園
結成日 昭和36年3月15日
我が町我が支部 三鷹市は、都心から西へ約18キロメートル、東京都のほぼ中央に位置し、明治22(1889)年の市制町村制の施行で十ヶ村が合併して北多摩郡三鷹村となり、昭和25(1951)年に市制が施行されました。この街は武者小路実篤・太宰治など、多くの作家や詩人たちも愛し住んだ街として知られるほか、三鷹の森ジブリ美術館があります。また、井の頭恩賜公園には井の頭池があり、東南方向に流れる神田川の源流となっています。この緑と水の環境に恵まれた三鷹の名は、かつて徳川将軍家及び御三家が鷹狩を行なった鷹場の村々が集まっていたこと(三領の鷹場)に由来すると言われています。

青梅支部


青梅市 梅の公園
結成日 昭和35年6月17日
我が町我が支部 「おうめ」読んで貰えるようになったのは青梅マラソンのお陰でしょうか。この地名の由来は種々あるようですが、市内の金剛寺に東京都指定の天然記念物「平将門 誓いの梅」というのがあって、この実が夏を過ぎても青々としたまま枝に残っていることにより青梅村と称されたという説が無難のようです。青梅は東京の奥座敷として、溢れる自然に恵まれた都市であり、中心市街は多摩川の渓口集落で青梅街道の宿場町として発達し、山間部では林業が盛んなほか、東部には工業団地が造成され、ハイテクノロジー関連産業が進出しています。西部は秩父多摩甲斐国立公園に属しています。

府中支部


大國魂神社
結成日 昭和38年9月7日
我が町我が支部 その昔、大化の改新により武蔵国の国府が置かれ早くから政治・経済・文化の中心地として栄え、江戸時代は甲州街道の宿場町として、明治以降は北多摩郡の郡役所の所在地として繁栄してきた府中。明治天皇は明治13(1880)年から17(1884)年にかけて6回府中に行幸され、明治13年の山梨三重京都ご巡幸の途次大國魂神社へ幣帛料を供進され、また連光寺への兎狩や多摩川での鮎漁天覧などの記録が残されております。その都度ご小憩やご宿泊になられた田中三四郎家は昭和8(1933)年に文部省史蹟に指定され、同16(1941)年、当時の府中町へ寄贈、昭和62(1987)年には郷土の森博物館建設の折に園内に復元保存されています。

昭島支部


多摩川ふれあい水族館
結成日 昭和38年6月22日
我が町我が支部 昭和36(1961)年に、市域の多摩川で五百万年前の鯨の化石が発見されたことから、昭島の周辺はその古東京湾の波に洗われる海浜であったと想像されます。北側に広がる段丘から南の多摩川に向かってなだらかな傾斜が続き、豊かな湧き水に恵まれたこの地には早くから先人が住み始めたことが知られています。江戸時代から明治にかけて市域には九つの村がありましたが、そのうち8つが合併し昭和村と拝島村となりました。大正時代から昭和の初めにかけては養蚕が盛んとなり、全国でも屈指の養蚕村となりました。その後、昭和29年に、北多摩郡昭和町と拝島村が合併し昭島市となり、東京都七番目の市として誕生しました。

調布支部


実篤公園
結成日 昭和35年4月21日
我が町我が支部 調布市は、昭和30(1955)年に調布町と神代町の合併により誕生し、市の中央には京王線と国道20号線(甲州街道)や中央自動車道が東西に走り、これを中心に市街地が形成されています。また、調布市は武蔵野の歴史と数々の史跡を持つ文化都市でもあり、深大寺の森や南にゆるやかに流れる多摩川の清流など豊かな自然にも恵まれています。大正4(1915)年10月の地鎮祭にはじまった明治神宮の造営工事には青壮年の勤労奉仕団が地元産の樹木を大八車に積み代々木へ運んで植樹した記録が残っています。

町田支部


草戸山
結成日 昭和34年10月2日
我が町我が支部 江戸時代には25ヵ村に分かれていた町田市は、明治政府の成立とともに神奈川県に属しましたが、その後、明治26年に東京府に移管されました。そして、昭和33(1958)年に1町3村が合併して人口6万人余の東京都で9番目の都市として町田市が誕生しました。市の中心部から車で15分位のところには七ヶ国が望まれると云われた七国山の近く、丘陵に囲まれた窪地に広がる都指定名所(新東京百景)の一つ薬師池公園があり、四季折々に彩りを見せる豊かな自然は市民の憩いの場所となっています。

小金井支部


小金井公園のお花見風景
(中央の建物が「光華殿」)
結成日 昭和36年6月14日
我が町我が支部 名勝小金井桜で有名な小金井の地名は、「黄金に値する豊富な水が出る」ことから、黄金井(こがねい)が小金井になったと言われています。現在は、11万人を超える人が小金井市で暮らしています。市内に大学、研究施設が設置され、住宅都市、文教都市としての性格が強いまちです。北に桜の名所として知られる小金井公園、南に武蔵野公園、野川公園があり、緑豊かな街である。また小金井公園内には「江戸東京たてもの園」があり、この中には紀元2600年式典で皇居前に造営された「光華殿」が移築保存されています。小金井支部は、「黄金に値する人間性」を「黄金意」に込めて邁進しています。

小平支部


一支部一事業 講演会
結成日 昭和37年7月28日
我が町我が支部 小平は、水が乏しく、人が生活するには適さない場所でしたが、玉川兄弟が羽村から江戸まで、多摩川の水を運んだ玉川上水を完成(承応3年、1654年)させ、江戸の近郊農村として開発が進みました。近年、都心部のベッドタウンとして、飛躍的な発展を遂げていますが、豊かな自然環境をいかしての農産物も多く、うどは特産物のひとつとなっています。くだものは、梨が最も多く、栗、ブルーベリーなども生産されています。明治16年4月23日、明治天皇は桜ご鑑賞のため当地へ行幸され、小金井橋の畔から小金井堤の桜を天覧になりました。海岸寺の門前、玉川上水北川遊歩道にある「行幸松」はこのことを記念して植えられたものです。

日野支部


土方歳三
結成日 昭和39年3月15日
我が町我が支部 江戸時代初頭に甲州街道中・日野宿が定められ、宿場町として発展し、昭和38(1963)年の市制施行により今日の市域となり、かつて「多摩の米倉」といわれた町は、大企業工場の進出、大型団地建設と宅地開発、更には先端情報技術産業の誘致なども展開しながら、残された自然とも調和した「水と緑の住宅都市」へと変貌を遂げてきました。また、日野市は歴史の町としての顔も併せ持ち、幕末から明治にかけて「誠」の旗を掲げて尊皇、攘夷、佐幕に殉じた新選組のふるさととして知られています。

東村山支部


花菖蒲が咲き競う北山公園
結成日 昭和39年6月13日
我が町我が支部 東村山市は、東京の西北部に位置し、狭山丘陵を背景に埼玉県所沢市に接し、地形はやや平坦である。昭和39(1964)年に市制が施行され、交通網が整備され、市内9箇所に駅を有する東京のベッドタウンとして発展した人口約15万3千人が住む近郊住宅都市です。狭山丘陵は多摩湖畔までのハイキングコースとして親しまれ、途中の北山公園には6月から7月にかけて花菖蒲やハスが見事な花を咲かせます。明治16(1883)年4月16日、明治天皇は飯能での近衛諸隊の演習天覧に行幸の途次、往復ともに久米川にお立ち寄りになりご休息されています。

国分寺支部


一支部一事業 講演会
結成日 昭和39年11月30日
我が町我が支部 奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇勅願により東大寺と同規模の武蔵国分寺が建立されました。現在は国指定武蔵国分寺史跡公園として、その由来を伝えており、隣接する丘の上には国の重要文化財の薬師如来坐像を安置する薬師堂や、万葉の草木を偲ぶことができる国分寺万葉植物園などがあり、歴史と文化に育まれた町でもある。首都近郊にあることから、ベッドタウンとして急速に都市化が進むなか、全国名水百選に選ばれた水源豊富な「お鷹の道眞姿湧水群」などもあり、武蔵野の面影を残す豊かな自然にも恵まれ、水と緑に彩られた文化都市として発展を続けています。

国立支部


谷保天満宮 古式獅子舞
結成日 昭和42年6月23日
我が町我が支部 国立市は、東京都西南部に位置し、市名は立川市と国分寺市の間にあるところに由来していると言われています。桜の名所としても知られる大学通りを中心に区画整理された「まち」と、市域南部の多摩川と田園が広がる自然豊かな「田園地帯」の二面性の魅力を持ち、心豊かな文化都市を目指して発展を続けています。この地には学問の神様として有名な菅原道真をまつる神社、谷保天満宮があります。谷保天満宮は、菅原道真公が大宰府に左降の折、三男道武がこの地に配流され、思慕の情から父君の容姿を刻んだ木像をまつったことが神社の起こりと伝えられています。

田無支部


六角地蔵尊
結成日 昭和42年3月10日
我が町我が支部 徳川家康が江戸幕府を開いたころの田無は、幕府の天領(直轄地)と、旗本知行地が入り組んでいましたが、後に代官のもとで名主によって治められました。その頃の田無は、青梅街道の宿場町であり、交通の要所として栄えていました。明治16(1883)年4月16日、飯能での近衛諸隊の演習天覧に行幸の途次、明治天皇は往復ともに旧名主下村半兵衛宅にてご昼食、ご休息され、近在の町村の住民が多数奉迎しています。平成13年に隣接する保谷市と合併をして西東京市となり、更なる発展の歩みを始めています。

保谷支部


東伏見稲荷神社
結成日 昭和42年3月22日
我が町我が支部 保谷支部は平成13(2001)年1月に田無市と合併し誕生した西東京市内で活動しております。都心への交通が便利なことから東京のベットタウンとして武蔵野の面影を残しつつ飛躍的な発展を遂げてます。また支部内は農業も盛んで、主な農作物は葉茎菜類で、安全で安心な農産物を供給する生産の場であるとともに、貴重な緑地空間、教育資源、災害時の避難場所など、様々な役割と可能性を兼ね備えた市民にとってかけがえのないものになっています。

福生支部


福生七夕まつり
結成日 昭和48年11月7日
我が町我が支部 福が生まれると書いて、「ふっさ」と読みます。都心から40キロ、東京の奥座敷多摩の玄関口として昭和45年に市制を施行し、福生町から福生市となり現在に至ります。明治、大正、昭和の初期には、田村酒造、石川酒造、ともに創業江戸時代の酒造りと、製糸を地場産業として、養蚕を中心とした農村地帯でしたが、戦後は米軍横田基地を中心に急速な発展を遂げ、基地のまち福生とも言われました。昭和26(1951)年から福生の夏を満喫する七夕まつりが八月の恒例行事として開催され、街を上げての一大イベントとなっています。

狛江支部


万葉歌碑
結成日 昭和46年7月20日
我が町我が支部 狛江市の面積は6.39平方キロメートルであり、全国で3番目に小さな市です。市域の大部分は多摩川の河岸段丘上にあり、縄文時代からの遺跡が多数存在し、5、6世紀には狛江百塚と呼ばれるほど古墳が造られました。江戸時代には、大部分が天領、大名領、旗本領などに属していました。廃藩置県により明治5(1872)年には神奈川県に属し、明治26(1893)年4月に東京府に編入されました。昭和2年に小田急線が開通し、都心への交通の便が向上して人口増加が始まり、東京のベッドタウンとして発展。昭和45(1970)年に東京で19番目の市として市制を施行しました。

東大和支部


多摩湖(村山貯水池)
結成日 昭和46年7月24日
我が町我が支部 東大和市は東京都心から1時間の通勤圏内で、北部には狭山丘陵が横たわり、南部には武蔵野台地が続く緑豊かな自然に恵まれた住宅都市です。大正8(1919)年に村制実施の際、6つの村が合併し大和村が誕生しました。その後昭和29(1984)年に町制を施行し、大和町となり、さらに昭和45(1970)年には、名称を東京の大和ということから東大和と改めて現在に至っております。町の風景も養蚕を主に、麦、さつま芋、お茶などの栽培などを生業とする純農村から、都市化の波とともに住宅都市へと大きくその姿を変えてきました。

清瀬支部


中清戸の獅子舞
結成日 昭和46年7月28日
我が町我が支部 明治25(1892)年に6つの村が合併し清瀬村が誕生し、昭和29(1954)年に村から町になり、その後住宅公団や都営住宅団地や都営住宅の団地が各所に建てられるなど急速に人口が増えて、昭和45(1970)年には清瀬市となりました。この地域の歴史は古く、野塩と下宿にある遺跡からは竪穴住居跡や多くの土器が発掘されており、また下宿の柳瀬川対岸には滝城跡(北条氏の出城)があります。郷土芸能としては、市の無形文化財に指定されている「中里の万作」「中清戸の獅子舞」等、古くから豊作と無病息災を祈る行事があります。

東久留米支部


南沢獅子舞
結成日 昭和46年7月26日
我が町我が支部 東久留米市は明治22(1889)年に南沢村、小山村など8つの村と新田や田無の飛地などが合併して久留米村が誕生し、昭和31(1956)年に町となり、昭和45(1970)年に市となりました。その際に福岡県久留米市と混合を避けるため、武蔵野鉄道(現西武池袋線)の駅として親しまれた「東久留米駅」の東久留米を市名としました。市内でも東京都でいちにを争う湧水量を誇っているのが南沢湧水群です。その湧水から流れる小川に影を写すように南沢氷川神社があります。そこに伝わる南沢獅子舞が今でも地元の努力によって伝えられています。

武蔵村山支部


大多羅法師
結成日 昭和46年7月23日
我が町我が支部 昭和35(1960)年のプリンス自動車武蔵村山工場(現日産自動車村山工場)の誘致を契機に武蔵村山は、農村から都市へと変貌してゆきました。しかし、日本経済のバブル崩壊をきっかけに日産自動車村山工場は平成13(2001)年に閉鎖され、現在地は、病院・大型ショッピングセンターなどになっています。武蔵村山の北側には狭山丘陵の自然があり、春の新緑の頃には全体が春がすみに包まれ、市民だけでなく都民の憩いの場となっています。また、武蔵村山市立野山北公園の中には「村山温泉かたくりの湯」が平成14(2002)年に開館し、多くの人に親しまれています。

多摩支部


旧富澤家
結成日 昭和55年7月17日
我が町我が支部 多摩町の当時は農村の面影を残す静かな田園地帯でしたが、昭和46(1971)年に市制が施行されて以降は、多摩ニュータウンが形成され都心への通勤者の居住地として注目されるようになりました。明治天皇は明治14(1881)年から4回、昭憲皇太后は明治18(1885)年に1回、兎猟や鮎漁のため多摩市(旧連光寺村)に行幸啓されています。その際、御小休所となった富澤家の建物は、同家より市へ寄贈され、市立多摩中央公園内に移築されています。また、市内には、明治天皇の偉業を讃えるため、昭和5(1930)年に元宮内大臣・田中光顕が中心となって建設した「旧多摩聖蹟記念館」があります。

稲城支部


江戸の里神楽
結成日 昭和55年3月30日
我が町我が支部 市域の多摩丘陵からは旧石器時代、縄文、弥生時代の遺跡が数多く見られます。明治時代の稲城村にとって南北地域との交流は多摩川の渡船での往来のみでしたが、昭和2(1927)年以降、南武鉄道の開通、多摩川原橋や是政橋の架橋など整備されました。昭和46(1971)年に市制が施行され、多摩ニュータウンの入居、京王線の乗り入れ、市中部に幹線道路の整備で街づくりが急速に進展しました。一方で、都市農業も健在で梨の栽培は古く元禄期からで、市の特産物となっています。また、郷土芸能も数多く、穴澤天神社の山本宮司家に伝わる土師流の里神楽は、「江戸の里神楽」として国指定重要無形民俗文化財となっています。

あきる野支部


大岳鍾乳洞
結成日 平成8年4月12日
我が町我が支部 あきる野市は、平成7年に都市化が進む秋川市と豊かな自然に恵まれた五日市町が合併して誕生しました。秋川と平井川の二つの川を軸として、丘陵に囲まれた平坦部と奥多摩の山々に連なる山間部から形成され、緑豊かな自然に恵まれたこの一帯は、早くから文化がひらけ、縄文時代や古墳時代の考古学研究史に残る遺跡が多数発掘されています。また平安時代の「延喜式」に記載されている由緒のある阿伎留神社や国の重要文化財に指定されている大悲願寺の伝阿弥陀仏三尊像などがあるほか、東京都に唯一残る農村歌舞伎「秋川歌舞伎あきる野座」があるなど、歴史と伝統に育まれたところです。

西多摩支部


小河内ダム
結成日 昭和34年9月3日
我が町我が支部 西多摩支部は、東京都西部の羽村市、瑞穂町、日の出町、奥多摩町、檜原村で構成されています。西多摩郡は当初は神奈川県に所属していましたが、南多摩郡及び北多摩郡とともに明治26(1893)年に東京府(現東京都)へ移管されました。現在の青梅市、福生市、あきる野市、羽村市もかっては西多摩郡に属していました。当支部は都内でも有数の自然豊かな地域であり、特に奥多摩町や檜原村は、山梨、埼玉との県境に位置し、千メートルを超える山々や多摩川、日原川、秋川など多くの渓谷は都民の身近な行楽地として大変親しまれています。また、小河内にある奥多摩湖は都民の生活に欠くことのできない貴重な水瓶として特に有名です。