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市川支部


里美公園の桜
結成日 昭和41年11月2日
我が町我が支部 当支部は昭和41年に千葉県下で最初に結成された支部です。市川市は南に東京湾、西に江戸川が流れ、東京に隣接する環境豊かな文教都市です。戦前は東京下町の富豪が別荘を構えたり、戦後も敷地の広い邸宅が多い高級住宅地となりました。明治天皇は明治8年に習志野原での近衛歩兵演習天覧に行幸の折、醤油製造業田中喜兵衛宅にてご休憩され、また明治12年及び15年にも陸軍諸兵の演習天覧に習志野原に行幸の際には牛尾弥次郎右衞門宅にてご昼食を召し上がられ、両家の門前に終戦まで在った記念碑は現在では博物館に移設されています。なお、大正2年には千葉県東葛飾郡市川町会議長後藤彌五郎と同町の田中喜兵衛が明治神宮の鎮座地として国府台に誘致請願をしました。

柏支部


一事業防犯活動
結成日 昭和42年7月29日
我が町我が支部 利根川を挟んで、北は茨城県、東は我孫子市との境にひろがる手賀沼の夕映えは誠に壮観です。柏は水戸街道沿いの地方商業の一中心として形成されました。またJR常磐線と東武野田線が交叉し都心への乗り入れが1時間という極めて便利な地の利に加え、つくばエクスプレスの開業も伴って緑豊かな自然と調和のとれた産業文化都市として発展しています。明治天皇は明治17年、茨城県女化原における近衛兵演習天覧のための行幸の際、寺島雄太郎邸で小憩され、その記念碑が現在も残っています。

習志野支部


明治天皇駐蹕之処 石
結成日 昭和43年6月1日
我が町我が支部 千葉市に隣接し、JR総武線、京成・新京成電鉄、京葉・東関東自動車道など交通の便に恵まれ、東京のベッドタウンとして人口が急増しました。習志野の地名は、明治天皇と深い関わりをもっています。明治6年4月29日から5月1日まで、明治天皇は下総国大和田村で近衛兵による演習天覧のため行幸されましたが、この時演習を指揮した篠原国幹少将の見事な指揮ぶりに感銘を受けられ「習篠原(篠原に見習いなさい)」とのことから「習志野原」と命名されたと伝えられています。爾来、明治天皇の習志野行幸は明治15年まで5回に及んでいます

野田支部


関宿城博物館と富士
結成日 昭和44年11月16日
我が町我が支部 野田市は千葉県北西部に位置し、東を利根川、西を江戸川、南を利根川運河によって三方を河川に囲まれた地域で、広大な農地が広がっています。水稲と全国でも屈指の生産量を誇る枝豆を始め畑作、更には酪農も営まれています。清水公園は野田の名所のひとつで、50種2,000本の桜があり、日本桜の名所百選に選定されています。また、長い歴史と伝統を有する野田の醤油醸造産業と、城下町として栄えた関宿町の文化を守りながら「水と緑に恵まれたまち」を合言葉に市民が一体感をもって地域の発展に努力しています。

船橋支部


一事業ゴミゼロ運動
結成日 昭和44年12月3日
我が町我が支部 船橋は東京と県庁所在地である千葉市のほぼ中間に位置しており、古くから海上交通、陸上交通の要所として栄えてきました。さて、明治天皇は、千葉県には特に陸軍の演習や牧畜耕耘事業などの天覧のため、計10回行幸され、延べ35日間に亘りご滞在になっておられます。最初の行幸は明治6年4月29日で、明治天皇は西郷隆盛らを従えて下総国大和田村での近衛兵の演習をご統監になったときでした。これが習志野原で、現在の船橋・習志野・八千代の各市にまたがっていました。大正6年10月に、御幕営遺趾に「明治天皇駐蹕之處」の碑が建てられましたが、現在は船橋市郷土資料館前庭に移設されています。また、最初の行幸からしばしばご利用になられたのが、船橋九日市の旅館業山口丈吉宅(現在の千葉銀行船橋支店の位置)で、通算ご宿泊10回、ご昼食5回、ご小休2回に及び、千葉県内では最も多くお立ち寄りになっています。同宅跡には「明治天皇船橋行在所」の碑が建てられています。

松戸支部


矢切の渡
結成日 昭和45年9月9日
我が町我が支部 地名の由来は平安時代の『更級日記』に「下総の国と武蔵の国の境にてある(中略)まつさとのわたりの津に・・・」とあるのが初見とされ、松林の多い里から松戸の地名が起こったといわれています。江戸川を境に東京と埼玉と向かい合い、昔から江戸川の水運と水戸街道の要衝の宿場町として発展しました。また、水戸徳川家から分家した松戸徳川家として水戸藩とつながりの深い土地でもあります(旧徳川家住居戸定〈とじょう〉館は国の重要文化財)。明治天皇は明治17年茨城県女化原の近衛兵演習の天覧のために、途中江戸川を船で渡られ12月6日に脇本陣羽生亀太郎唯八宅でご昼食を召し上がられ、また、12月9日には還幸に際し同宅にてご小休されており、羽生家の記録には江戸川の鯉7本献上とありますが、残念ながら当時の建物は現存せず、「明治天皇松戸行在所」の記念碑があります

鎌ケ谷支部


貝柄山公園
結成日 昭和50年8月25日
我が町我が支部 鎌ヶ谷市は千葉県北西部の北総台地に広がっています。古く江戸時代から、鎌ヶ谷は街道の要衝の地として、利根川の水運の隆昌とともに街道の往来も盛んになり宿場として整備されて参りました。当時の建物として有名なものに安永5年(1776)に鎌ヶ谷村の商人が先祖供養のために造らせた鎌ヶ谷大仏があります。また全国的に有名な「梨」づくりは明治期より行なわれ、大正時代になって「長十郎」が導入されてからは収穫量が徐々に増加し、戦後は三水(新水、幸水、豊水)の普及や耕地面積の拡大などにより、鎌ヶ谷市の主要産業になっています。

流山支部


利根運河水辺公園
結成日 昭和55年11月20日
我が町我が支部 流山は江戸川を境に埼玉県三郷市と向かい合い江戸川の水運と共に栄えた町です。明治に入って船が大型化したことなどの問題で、明治23年(1890)には利根運河が造られ流山はさらに栄えましたが、明治29年(1896)に日本鉄道土浦線が開通、大正6年(1917)には流山軽便鉄道株式会社が設立されるなど、鉄道網の整備とともに水運が徐々に陸上交通へと移ってゆき、江戸川や利根運河を行き来した水運の盛んな往時の姿は見られなくなりました。現在は常磐自動車道路とつくばエクスプレスの開通により、周辺地域がより密接に結ばれ大規模な都市開発づくりが始まっています。

浦安支部


三社祭
結成日 昭和57年12月12日
我が町我が支部 江戸川の最下流にあって三方を東京湾に囲まれた、首都近郊の町です。寛永12年(1635)、参勤交代の制度確立以降、江戸が急速に膨張期を迎え始めた頃、浦安近郊(猫実)は狩猟場として江戸の殿様達が狩を楽しんだ閑静なところであったようです。明治22年、堀江村、猫実(ねこざね)村、当代島村の三村が合併して浦安村が誕生しました。「浦安」の「ウラ」は心、「ヤス」は平安で、心安らかな事を意味します。また「浦安の国」は日本国の美称で『日本書記』には「日本(やまと)は浦安国」とあり、当時漁村のあった当地の漁浦の安泰を祈って初代村長の新井甚左衞門が名付けたといわれています。

沼南支部


手賀沼エコマラソン
結成日 平成5年7月24日
我が町我が支部 沼南町は平成17年に柏市に合併され町名はなくなりましたが、崇敬会としては結成当時のまま独立して現在も活動しています。千葉県は北西部、手賀沼の南側にあり「沼の南」との意味で町名がついたといわれます。この地域の歴史は古く、沼を囲む高台には縄文・弥生時代の集落、貝塚等の遺跡が多数存在し、また、数多くの古墳群が存在する。中でも「北作古墳」は千葉県の文化財に指定され、銅鏃や五領式土器などの出土し、4世紀末から5世紀初頭にかけて大和政権と関わりを持つ族長によって文化が形成されていたことを物語っています。また、関東で平将門の乱が起きますが、当地には平将門とその一門に関わる伝説や「将門神社」「地蔵尊」などの史跡もあり、氏神として将門を祀っている家もあります。

市川行徳支部


船渡御
結成日 平成7年7月28日
我が町我が支部 私たちの支部は市川市の南部、江戸川以南の地域です。地域で誇れるものとして、先ず宮内庁の新浜鴨場があることです。明治26年の開設以来皇室内外の賓客の接待所となっていますが、ここでは鳥を無傷で捕獲する「叉手網猟(さてあみりょう)」が江戸時代から保存されています。また江戸時代には徳川の天領で、当時行われていた塩の生産は日本一で、「行徳」とは塩の代名詞でもあったようです。町は賑わい、「行徳千軒寺百軒」といわれたほどに栄えました。大正6年の津波で塩田が壊滅的な打撃を受けた行徳ですが、跡地は主として蓮田になり、半農半漁の町でした。今日では田圃がマンション街に変貌し、マンション密度は日本一といわれています。また神輿の生産量も日本一で、全国の神輿の80%はこの地で生産されています。

八千代支部


京成バラ園
結成日 平成10年9月18日
我が町我が支部 八千代市は千葉県北西部に位置し、千葉市、船橋市、習志野市に接しています。昭和29年に大和田村と睦村と阿蘇村の一町二村が合併し、住民の公募により「八千代町」が誕生しました。古くは奈良・平安時代頃から大集落が形成されるようになり、江戸時代には佐倉道(成田街道)の発展と共に大和田は成田山への参拝者の宿場町として賑わいました。大正15年(1926)には京成電鉄が開通し、昭和32年には首都圏から30キロほどの距離ということもあり、日本で最初の住宅団地である「八千代団地」の入居が始まり、東京のベッドタウンとして発展しました。また、大正9年頃から栽培された梨は八千代の特産品として有名です。

富津支部


鋸山百尺観音
結成日 平成16年7月4日
我が町我が支部 房総半島の中西部東京湾側に位置する富津には、南北40キロに及ぶ海岸線と千葉の三名山に挙げられる鹿野山と鋸山があります。また東京湾に突き出た富津岬は「関東の天の橋立」といわれ、これらの景勝地は南房総国定公園として、多くの方が海水浴や潮干狩り、ハイキングに訪れています。特に富津市内から望む富士山は浮世絵にも「上総富士」として多く取り上げられていますが、東京湾越しに見る富士山は地元静岡から見る富士山にも劣らぬ美しさで、当地の自慢でもあります。富津という地名でもお判りの通り、当地は「古津」或いは「布流津(ふるつ)」と呼ばれ、日本武尊と弟橘媛の伝説が残る古代から連なる歴史を有し、市内に存在する古墳群は南関東最大級といわれています。

木更津支部


アクアライン
結成日 平成17年7月16日
我が町我が支部 「きさらづ」の名は日本武尊の東夷征討伝説に、相模の走水から上総へ渡ろうとしたときに尊の妃弟橘媛が海中に身を投じて竜神を鎮められ、無事に上総に渡ることができた尊が媛の運命を悲しまれ、しばしこの地を去ろうとなされなかったので、後年この地を「君去らず」と名付け、それが「きさらづ」になったといわれています。『大阪冬の陣』では木更津の水夫が徳川方で参戦し、その活躍が認められて江戸時代には港が設けられ、年貢を唯一江戸に運べる海運の特権を与えられ、以降も港を中心に栄えてきました。観光名所としては歌舞伎で有名な「切られ与三郎」の墓地がある光明寺や「證誠寺のたぬき囃子」の舞台となった證誠寺や、関東一の大神輿のある八剱神社があります。東京アクアラインが開通して、東京・横浜から僅か50分足らずで行き来ができるようになりました。