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埼玉県の支部

熊谷支部


うちわ祭
結成日 昭和40年2月21日
我が町我が支部 熊谷市は、埼玉県では川越についで2番目に市制がしかれ、県北部の交通・経済・文化の要衝です。市内の愛宕八坂神社の例大祭である「うちわ祭り」は「関東一の祇園祭」と称され、7月20日から3日間行われる熊谷市の夏の風物詩である。当支部は昭和40年に崇敬会初の地方支部として結成されました。熊谷市は両御祭神とも縁が深く、明治天皇は明治11年9月1日、北陸東海ご巡幸に際し竹井耕一郎宅を行在所とされました。また昭憲皇太后は明治6年の富岡製糸場の行啓の折にも竹井宅にご宿泊されています。なお残念ながら、記念碑などすべて焼失し残っていません。

所沢支部


航空発祥記念館
結成日 昭和42年8月30日
我が町我が支部 所沢市は県の南西部の狭山丘陵にあり、狭山湖・多摩湖等四季を通して風光明媚なところ、また、都心にも30分足らずと通勤通学の便がよく埼玉都民の多いところです。当市には我が国で最初の陸軍飛行場が開設され、パイロットの養成、航空機の制作、気象観測等の航空事業発祥の地といわれています。明治16年4月、明治天皇は飯能付近で挙行された近衛兵春季大演習天覧のため行幸され、斎藤家を行在所として二泊されています。行在所になった斎藤家は、町の中心元町にあり源平時代の名将斎藤別當実盛の子孫といわれる旧家であり、現在明治天皇行在所跡として市指定の文化財になっています。

川越支部


川越城本丸御殿
結成日 昭和42年10月5日
我が町我が支部 川越支部は昭和42年に明治維新百年祭を記念して結成しました。川越は江戸の北の守りであり、豊富な物資供給地として重要だったため、幕府は有力な大名を配置しました。その一人、松平信綱は、新川岸川を利用した船運を起こして江戸との物流を確立、商人の町としても発達させました。近年では歴史と文化の町として川越氷川祭、市立博物館、その他多くの文化財などの観光資源とあいまって、多くの観光客が訪れています。

飯能支部


支部結成40周年記念大会
結成日 昭和43年8月5日
我が町我が支部 市は昭和7年逸早く、本格的な川からの上下水道を整え、防火センターやごみ処理施設など市民安定の諸施設を整えています。また、古来、飯能の経済を支えてきた桧の良材は、江戸時代の災害の復興、関東大震災、戦後の復興などに重宝されました。多数の木材屋と共に、絹織物産地としても早く商店街が形成されました。飯能市は明治天皇が近衛兵旅団の演習をご覧になるため行幸され、その後、羅漢山は天覧山と改められ、山頂には徳大寺公による行幸記念碑が立てられました。

入間支部


入間万燈まつり
結成日 昭和43年9月20日
我が町我が支部 入間は江戸時代に日光街道の宿場町として栄え、明治に入ると養蚕が盛んに行われ、海外へもお茶と共に輸出されておりました。入間市が誕生してからは、折からの高度経済成長により人口が急増し、発展を続けております。市の最大イベントである「入間万燈まつり」は、10月の第4土曜・日曜に行われ市民手作りのまつりとして毎年30万人を超える人が参加しています。明治16年明治天皇が高倉地区梵天山より陸軍春季大演習を御統監された折、市内の金毘羅坂が急坂で馬車が通行困難になった時に、村人が協力して馬車を押し上げた功労に対して慰労金が下賜されたとの記録が現地に石碑として残っています。

東松山支部


一支部一事業 しめ縄作り講座
結成日 昭和44年7月14日
我が町我が支部 東松山市は秩父山系に連なる丘陵地帯であり緑豊かな武蔵野の面影を残し、市中央には市街地が結成され、北部には果樹園や畑、東部から南部にかけては肥沃な水田地帯が広がっています。また、日本スリーデーマーチの開催地として有名であり、日本最大のウォーキングの祭典が行われています。なお、当市の名物といえば「やきとり」で、夕刻ともなれば、街のあちこちの店先で赤の「やきとり」提灯の灯がともります。但し、この「やきとり」は豚肉のカシラ肉をピリカラの味噌だれを付けていただくものです。

狭山支部


明治神宮から株分けをうけ
開園した智光山公園の「花し
ょうぶ園」
結成日 昭和45年9月4日
我が町我が支部 狭山市は昭和29年に埼玉県下15番目の市として誕生し、発足当時は田園風景の広がる緑豊かな街でしたが、現在は交通の利便性も高まり、住宅工業都市として発展しています。また、昭和13年に開校された陸軍航空士官学校が現在は航空自衛隊入間基地として町と共存しています。観光面では江戸時代中頃から始まったとされる「入間川七夕まつり」が現在も受け継がれています。なお、智光山公園の花菖蒲園は、明治神宮から株分けを受けて開園しました。

川口支部


川口駅東口
結成日 昭和45年11月17日
我が町我が支部 川口市は昭和8年に市制が施行された産業文化都市です。現在は鋳物・機械・植木・釣竿・映像関連の産業を基盤に、SKIPシティの建設という映像産業の街づくりや、川口市立アートギャラリー「アトリエ」をサッポロビール工場跡地に開館し、川口のアートシーンを支える等「安全で安心、住んで良かったと誰もが思える」新産業文化都市を目指して歩みを進めています。また、市内には羽尽神社や錫杖寺等の歴史的名所も多く存在しています。

浦和支部


行在所記念碑
結成日 昭和56年4月27日
我が町我が支部 江戸時代の中山道・日光街道の宿場町として栄えてきました。平成17年に浦和市と大宮市・与野市と合併し「さいたま市」となりましたが、支部としては旧浦和市で活動しています。明治天皇は明治11年北陸・東海ご巡航の際に、新築まもない鳳翔閣(埼玉師範学校)を行在所とされました。鳳翔閣は現在は場所を移していますが、師範学校の跡地には「行在所記念之碑」が建てられています(現在は市立浦和博物館として再建されています)。なおその後、師範学校卒業生が教員となりサッカーを教え、埼玉では浦和がサッカーの発祥の地となっています。

行田支部


忍城
結成日 昭和56年9月6日
我が町我が支部 埼玉の県名の元となった「埼玉(さきたま)古墳群」は北九州、大和地方と共に日本三大古墳群に指定され、昭和43年に出土した国宝「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」の古代文字が発見され、5世紀の関東と大和朝廷の関係を知る重要な発見とされました。また、忍(おし)城は成田親泰によって築かれた水城で、守りやすく攻めにくいという天然の要害の地に築かれた平城です。石田三成が水攻め以外戦法なしとして、堤を造って攻略を試みましたが失敗に終わり浮城と語り継がれています。また、近年小説「のぼうの城」に描かれ、映画製作もされています。

深谷支部


駅舎
結成日 昭和56年10月12日
我が町我が支部 江戸時代は中山道の宿場町として旅籠が軒を連ね、また利根川水運の河岸場として隆昌する中瀬河岸と相俟って江戸文化の花が咲きました。明治の実業家で日本近代経済社会の基礎を築き、実業界のみならず社会公共事業・国際交流の面においても指導的な役割を果たした渋沢栄一は深谷血洗島出身で、生家は現在記念館となっています。また、渋沢は明治神宮創建に深く関わった一人です。なお、東京駅の赤レンガは建設当時深谷で生産されたもので、その縁を以て平成8年に深谷駅が東京駅を模して造られました。

新座支部


県指定史跡 野火止用水
結成日 昭和57年12月1日
我が町我が支部 新座市は昭和33(1985)年に大和田町と片山村が合併してなった新座町となり、昭和45(1970)年に市制を施行し誕生しました。埼玉県南西部に位置した中堅都市として発展しています。柳瀬川や黒目川の開けた沖積低地と、それにはさまれた野火止台地からなり、古くから宿場や交通の要所として栄え、時代の流れと共に大きな発展をしてきました。市内にある平林寺は、天皇皇后両陛下が皇太子同妃両殿下の時代にお出ましになられたことでも知られる名刹で、現在も多くの人々が武蔵野の自然林を鑑賞かたがた参詣に訪れています。

羽生支部


田舎教師の像
結成日 昭和58年9月10日
我が町我が支部 埼玉の北端、洋々たる利根川に抱かれ、空が広く、夕日が美しい田園都市です。明治の文豪田山花袋は、小説『田舎教師』の冒頭に「四里の道は長かった、その間に青縞(あおじま)の市の立つ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた。」、とこの町の風物を描写しています。その青縞が武州藍染めで当時は東日本一の衣料の産地として知られ、現在も学生衣料・子供服・作業服・ファッション衣料の町として受け継がれています。また、東北自動車道羽生インターチェンジ開設から交通アクセスが大幅に改善され、自動車部品など新たな産業の工業団地が造成されています。

草加支部


一支部一事業
グラウンドゴルフ大会
結成日 昭和59年10月5日
我が町我が支部 草加市は埼玉県の東南部に位置し、市域は中川・綾瀬川流域に開け、他にも伝右川・毛長川・古綾瀬川など多くの川が流れています。また、草加市には煎餅と並んで有名な草加松原と呼ばれる松並木があります。綾瀬川沿いに二列に並ぶ松の間は遊歩道として整備され、読売新聞社「遊歩百選」にも選ばれています。明治天皇は明治9年6月2日、奥羽ご巡幸の折、また、明治14年7月30日、奥羽北海道ご巡幸の折の二度、草加宿の大川邸を行在所とされました。この建物は草加宿最後の本陣造りとして、現在ではレプリカが草加市歴史民俗史料館に展示されています。なお、大川邸のあった現在の草加小学校の近くには「明治天皇草加行在所」の記念碑が建てられています。

蕨支部


一支部一事業
グラウンドゴルフ大会
結成日 昭和59年10月25日
我が町我が支部 蕨市は人口密度が世界第1位(平成18年3月現在)の住宅都市です。江戸時代には中山道第二の宿場町として栄え、その後錦織物の生産や集散地として全国的に知られるようになりました。現在は東京近郊の衛星都市として、水や緑を主体とした環境づくりが進められています。昭和21年に、成年者の門出を祝した第1回蕨町成年式典を開催しました。これをきっかけに成人式の輪が広がり、国家的行事に至り、「成年式発祥の地」としても知られるようになりました。明治天皇は明治元年と3年に、大宮氷川神社ご参拝の途次、蕨本陣岡田邸にてご小休になりました。
活動内容
一支部一事業実施

坂戸鶴ケ島支部


4年に1度雷神ヶ池に
出現する龍神様
結成日 昭和61年2月27日
我が町我が支部 当支部は坂戸市と鶴ヶ島市が中心となって結成され、今日では、鳩山町、川島町の方々も加わっています。支部内には「鎌倉街道」、「笛吹き峠」や「浅羽野の万葉の里」等、多くの名所や古刹があります。特に、「雷電ヶ池(かんだちがいけ)」は三郡八景の一つで、干ばつの時池の畔の雷電社に祈ると必ず雨が降ると信じられており、この故事に因んで長さ36メートル、重さ約2トンもある大蛇を竹と藁で作り、何百人もの人達がこれをかついで掛声も勇ましく、法螺貝を吹き鳴らしながらこの池まで運んでくるという独特の雨乞行事を行うようになりました。4年に一度8月第1日曜日に実施されます。

朝霞支部


一支部一事業
教育勅語書写教室
結成日 昭和61年6月25日
我が町我が支部 朝霞市は、埼玉県南西部に位置する住宅都市で、市名になった「朝霞」の名は、昭和5年に東京ゴルフ倶楽部が膝折村に移転したのをきっかけに昭和7年町制を施行し、同倶楽部の名誉総裁であった朝香宮殿下の宮号にちなんで命名されたものです。朝霞市は市制を昭和42年に施行し、市内には荒川・新河岸川・黒目川・越戸川の四つの河川が流れる武蔵野の面影残る緑と水の豊かな土地であり、また城山公園や東圓寺不動の滝など、歴史の散策が楽しめる場所としても親しまれております。

八潮支部


八潮の獅子舞
結成日 昭和61年7月22日
我が町我が支部 埼玉県の東南端に位置する八潮市は、中川・大場川・綾瀬川・伝右川・毛長川・桁川が流れる川に育まれてきた地域であり、その一方で各河川の氾濫による水害に見舞われてきた地域でもあります。そのためか河川氾濫や水害を鎮める神や農耕の神等、21の神社が鎮守として祀られています。また、「弓ぶち」「蛇ねじり」「獅子舞」等の年中行事は伝承文化として、古式に則り今も欠かさず行われ、各地域に欠かすことのできない行事として若い世代に受け継がれています。明治27(1894)年4月、当時の東宮殿下(のちの大正天皇)が南川崎付近にて遊猟なされ、佐藤家にて昼餐され、自然豊かな中川河畔を散策されています。

加須支部


ジャンボこいのぼり
結成日 昭和61年12月6日
我が町我が支部 平成22年春に旧加須市と北埼玉郡騎西町、大利根町、北川辺町が合併し新生加須市となりました。産業面では利根川の利により特に水稲をはじめ野菜、果物、花の生産等農業が現在も発展しています。特に職人の技を生かした手描こいのぼりの生産は日本一で、毎年5月には大空を舞う100mものこいのぼりは、初夏の風物詩として知られ、そのほか剣道具、硬式野球ボールは世界に誇れる逸品を生み出しており、食べ物では美味しいうどんの町として知られています。毎年ゴールデンウィークに行われる市民平和祭には雄々しい姿で泳ぐ100mものジャンボこいのぼりは有名です。

上福岡支部


支部結成20周年記大会
結成日 昭和63年3月27日
我が町我が支部 上福岡は埼玉県南西部に位置しています。首都圏30キロ県内にあり、交通の便と生活環境に恵まれ通勤通学に適しているため、人口密度は非常に高い。もとは福岡町であったが、昭和47(1972)年に市制が敷かれ、その際に福岡県の福岡市と重複を避けるために上福岡駅の駅名から上福岡とされました。平成17(2005)年には大井町と合併し、現在はふじみ野市となっています。上福岡駅を挟んで東側と西側に高層マンション、中央に商店街、それらを取り巻くようにして長閑な田園地帯が広がっており、都市と商・農のバランスのとれた街です。

和光支部


外環自動車道
結成日 昭和63年8月12日
我が町我が支部 和光市は昭和45年に誕生し、東側は板橋区、南側は練馬区にそれぞれ隣接しており、副都心池袋へ電車で20分たらずの距離にあります。また、市内には東武東上線のほか、東京メトロ有楽町線や都営大江戸線が乗り入れております。このように都心に接しながらも、雑木林や畑が点在し、武蔵野の貴重な自然が残る全体的に緑の多い街です。市内には本田技術研究所の世界本社、独立行政法人国立病院機構埼玉病院、独立行政法人理化学研究所のほか、税務大学校、司法研修所などの国や民間の研究・研修施設が設置されています。

与野支部


バラ祭り
結成日 平成元年6月10日
我が町我が支部 与野市は平成13年に「さいたま市中央区」となりましたが、旧与野市は、極めて狭い市域でしたが、古くから市の中央を鎌倉街道が南北に通り市場の町として栄え、また、『新編武蔵風土記稿』によれば江戸から行程七里の位置にあり、相模、甲斐の二国から陸奥国へ抜ける脇往還の宿場で、家数は304軒と浦和宿や大宮宿に比べても多かったそうです。現在も蔵造りの商家が並び、道路と住宅の間に空き地をもつ家がありますが、これが市場開催のなごりで、六斎市(月六回開く市)として栄えた面影を残しています。また、桜の名所として有名な与野公園にはバラも植えられ、バラ公園としても有名です。

三郷支部


戸ヶ崎香取神社・三匹の獅子舞
(市指定無形文化財)
結成日 平成3年5月28日
我が町我が支部 三郷市は、東に江戸川を挟み千葉県松戸市および流山市に、南は東京都葛飾区に接しております。江戸川がもたらす肥沃な土地の恩恵により、水と緑の豊かな温暖な気候に恵まれた早場米の産地として知られる豊饒の地として栄えています。肥沃な大地である故に水害も多く、その為か自然と神仏を畏怖し信心する土地柄として多くの社寺が建立され、神祭り神賑わいの民俗芸能が数多く興りました。市や県の文化財として万作踊りや三匹の獅子舞・二郷半囃子・里神楽等が登録され、現在も受け継がれています。

大宮支部


みどりの経済都市
結成日 平成7年10月12日
我が町我が支部 大宮の地名は、街の中央部に鎮座する武蔵国一宮氷川神社に由来します。およそ1200年前の聖武天皇の御代に「武蔵国一宮」と定められ、以降、歴代皇室のご崇敬篤く、武家時代には足利、北条、徳川各氏の深い尊崇を受けました。明治天皇は明治元年10月に現在の皇居に入城されると4日後には「武蔵国大宮駅氷川神社を以て当国の鎮守となし…」との勅書を下され、28日には御親拝されました。その後も明治3年、明治11年と三度行幸されています。このような経緯で大宮は明治神宮とも深いご縁で結ばれておりましたので、支部結成についても特に親しみをもって受け入れられました。

志木支部


いろは橋と志木市役所
結成日 平成9年7月29日
我が町我が支部 志木市は、志木町と宗岡村が合併して足立町となり、更に人口増加によって昭和45年市制が施行されて誕生しました。面積では全国的にもミニ市と言われる小さな町ですが、「小さいながらもきらりと光る町」を目指しています。東京には地下鉄有楽町線で有楽町駅まで40>分、東武東上線で池袋駅まで30分の近距離にあり、典型的なベッドタウンとして発展してきました。江戸時代は、新河岸川を中心とした水運の利用により商業の町として発展しましたが、時代と共に変遷し現在の街へと一変しました。しかしながら、河川は現在でも市民と密接な関係にあり、「水と緑」に囲まれた環境都市として、その面影を残しています。

越谷支部


元荒川桜堤
結成日 平成10年3月14日
我が町我が支部 越谷は古くから日光街道の宿場町として栄えたほか、古利根川、元荒川、綾瀬川などが流れ自然に恵まれた「水郷こしがや」と呼ばれてきました。現在も東京のベッドタウンとして、また埼玉県南東部の中核都市として全国各地からの転入者が急増して発展した経緯もあり、地域住民が相互に交流し、助け合う「ふれあい豊かなふるさとづくり」を目的として、花田苑でのホタル鑑賞会や越谷特産の花卉であるチューリップのイベントの開催など地域住民交流事業が盛大に展開されています。

上尾支部


丸山公園の桜
結成日 平成11年7月21日
我が町我が支部 江戸時代は中山道の上尾宿として栄え、その周辺は天領・旗本領・寺社領として治められた畑作を中心とした準農耕地帯でした。昭和42年に上尾運動公園をメイン会場として開催された第22回の埼玉国体を契機に大規模な団地開発や工場等の進出に伴い、人口が急増し埼玉県の中核都市となりました。まさに農村型から工業都市、そして住宅都市へと変貌しています。都心から電車で約35分と非常に便利でありながら、一歩郊外に足を向けるとのどかな風景が広がり都会と昔懐かしい雰囲気の両面を併せ持つみどり豊かな都市です。

岩槻支部


流しびな
結成日 平成13年2月26日
我が町我が支部 平成17年に岩槻市は、さいたま市と合併し「さいたま市岩槻区」となりました。埼玉県では幕末まで存在した主な城は、川越城、忍城(行田市)、と岩槻城です。岩槻城は扇谷上杉氏が家臣太田道灌父子に築かせたとも言われる城ですが、徳川氏の江戸入府以後は徳川家臣の居城となり江戸北方の守りの要となりました。東武野田線岩槻駅東口を中心として、ひな人形を地場産業とする人形店が集積し「人形の街」として全国に知られており、特にひな人形、兜が有名です。これは日光東照宮造営に関わった職人が、この地にとどまり江戸初期にはじめたとされています。

南埼支部


菖蒲城跡あやめ園
結成日 平成13年7月28日
我が町我が支部 南埼支部は埼玉県南埼玉郡に属する白岡町・宮代町・菖蒲町(平成22年に久喜市に合併)の3町の地域で結成されました。関東平野のほぼ中央で、西に元荒川と見沼代用水路、東に古利根川に挟まれた平坦で肥沃な土地と豊かな水利に恵まれ、宮代町は「巨峰」、白岡町は「梨」、菖蒲町は「梨と苺」などが県内有数の収穫量を誇ります。また、菖蒲白岡町境では見沼代用水路と元荒川が交差しており、元荒川の川底をサイフォン方式で潜り抜ける構造物「伏越」があり、下流にある閘門式の「通舟堀」はパナマ運河より183年も前に実現しています。この技術は世界的な土木技術として歴史的な遺産となっています。また神宮の造営に際し代々木の杜の造林を指導した本多静六博士は旧菖蒲町の出身です。

北葛中部支部


古利根川流灯祭り
結成日 平成14年1月1日
我が町我が支部 北葛飾郡杉戸町と現在は春日部市の旧庄和町からなる支部です。杉戸は日光街道の宿場町として栄え、また庄和は江戸川を利用した舟運で栄えた町です。当地域は利根川及び江戸川の水を活用したコシヒカリ中心の米作りや、東京市場直送の野菜生産が盛んです。8月に行われる「古利根川流灯まつり」は、夏の風物詩としてテレビにも取り上げられ「地上に降りた天の川」と称えられるようになりました。明治天皇は明治91876)年の奥羽ご巡幸、明治141881)年の奥羽北海道御巡幸の二度、杉戸宿の本陣で御休憩になりました。現在は銀行の敷地となっていますが記念碑が建っています。

大里支部


玉淀水天宮祭
結成日 平成14年1月26日
我が町我が支部 大里支部は埼玉県北西部に位置する旧埼玉県大里郡(現寄居町、深谷市の旧岡部町・旧花園町・旧川本町、熊谷市の旧江南町)の5町で組織されています。夫々の町の特色がありますが、特に寄居町は、江戸時代には秩父街道が江戸から上野国へ通じる脇往復の交わるところとなり、寛永8年(1631)からは毎月4・9日に市が立ち、絹や穀物なが取引されました。また、観光地としては、全国名水百選の風布川(ふうっぷがわ)・日本水(やまとみず)などの自然観光資源と北条まつりや玉淀水天宮祭など歴史・文化的資源にも恵まれています。

吉川松伏支部


なまずの里
結成日 平成14年5月31日
我が町我が支部 吉川市と北葛飾郡松伏町からなる支部です。吉川は東に江戸川、西に中川が流れ、「川のまち」から川魚料理も有名で老舗料亭や飲食店では、うなぎや吉川産のなまずの天ぷらや洗い、たたきなどを味わうことができます。なまずは町のシンボルとしてJR吉川駅に金色のなまずのモニュメントがあり親しまれています。また、市内の八坂神社の「あばれ神輿」はその勇壮なことで有名です。一方、松伏町は大落古利根川、中川、江戸川の三本の川が町内を流れ、その恵みを受けた田園風景と都市的景観が調和した農業の盛んな町です。4月中旬から堤一面に咲くからし菜の鮮やかな黄色い花は、道行く人の目を楽しませてくれます。

春日部支部


牛島の藤
結成日 平成19年7月22日
我が町我が支部 春日部支部は平成19年結成の崇敬会124支部の中で一番新しい支部です。江戸時代は日光街道の粕壁宿として、また岩槻往還・野田往還など商業、交通の要衝であり、現在も国道4号、国道16号、東武伊勢崎線、東武野田線が交差する首都圏における交通の要衝として賑わい、都心への通勤圏であるにも拘らず、水田や屋敷林が広がる水と緑豊かな表情を見せています。明治天皇は明治9(1876)年の奥羽ご巡幸、明治14(1881)年の奥羽北海道御巡幸の二度、粕壁の竹内彦右衞門宅でご昼食、ご休憩になりました。