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聖跡のご紹介

明治天皇 絵画と聖蹟「第5回 江戸開城談判」

明治元年(1868)2月、鳥羽・伏見の戦いの後、新政府は徳川慶喜を追討するため、江戸へ向けて軍を進撃させます。

旧幕府軍は応戦する姿勢をみせ、江戸城攻防戦は避けがたい状況となりました。徹底抗戦の声が高まる中、江戸を戦禍から守るため、新政府軍と交渉にあたったのが陸軍総裁の勝海舟でした。勝は、東海道の軍を指揮する西郷隆盛と旧知の仲でした。剣豪で知られる山岡鉄舟を駿府城(静岡)に陣を構える西郷のもとへ派遣し、西郷との会見の場を設けることに成功します。

江戸城総攻撃は3月15日に迫っていました。会見は、3月13日と14日の両日、江戸の薩摩藩邸にて行われました。勝は江戸を戦場にすることで多くの命が失われ、わが国の国力を削ぐことになると訴えました。西郷は勝の訴えを聞き入れ、総攻撃の中止を命じました。西郷の手腕なくして、突如前日に中止が決定されることはあり得ませんでした。

同じ3月14日、奇しくも京都御所の紫宸殿(ししんでん)では、明治天皇が天神地祇(てんじんちぎ)にお誓いになられた「五箇條の御誓文」が布告され、維新の基本方針が示されました。この日は、わが国にとって歴史的な一日となったのです。

4月11日、江戸城は無血開城されて新政府へ引き渡され、奇跡的に江戸は戦禍から免れたのです。西郷と勝との信頼関係なくしてはあり得なかった大事業と言えましょう。

*聖蹟に行ってみませんか*

〔江戸薩摩藩邸跡〕東京都港区

勝と西郷が会見した薩摩藩邸は、現在残されていませんが、跡地の港区芝5丁目には記念碑が建てられています。

■JR田町駅から徒歩1分

聖徳記念絵画館壁画「江戸開城談判」(結城素明画)
明治元年3月14日(1868年4月6日)薩摩藩邸(東京)
(西郷隆盛(左)・勝海舟(右))
本芝町会が建てた記念碑は、第一京浜沿いにある
第一田町ビルの敷地内に建つ記念碑
正面から見た記念碑

勝・西郷会談と同じ日に、京都では五箇條の御誓文が布告された