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聖跡のご紹介

明治天皇 絵画と聖蹟「ご生誕」

明治天皇は、嘉永5年(1852)9月22日(新暦11月3日)、121代孝明天皇と女官の中山慶子(よしこ)との皇子として、ご生誕になりました。孝明天皇は菊の花を愛でながら昼食をとられているところで、お世継ぎご生誕との吉報に大そうお喜びでした。

中山邸内に造られた御産所は、6畳と10畳の簡素な建物でした。現在も京都御所の北東方向に残っています(下の写真)。ご幼名は、ひいお祖父さまの119代光格天皇と同じ祐宮(さちのみや)と賜りました。「天祐があって、吉であり万事に有利」という古典(『周易』)の一節に由来します。新たに掘られた井戸(祐井=さちのい)には賀茂川で汲まれた水が注がれ、産湯となりました。

祐宮は、我が国の歴史の中で最も困難な時期に成長されました。ご生誕の翌年、アメリカのペリーが軍艦を率いて来航し、鎖国状態にあったわが国に強く開国を迫り、安政5年(1858)には天皇の勅許を得ずに日米修好通商条約が締結されました。5歳の明治天皇は、御父とともに8日間1日も欠かすことなく、国の安泰を願って皇室のご先祖に祈られたのでした。将来の天皇としてのご自覚は、早くから御父孝明天皇の薫陶によって養われました。

聖蹟に行ってみませんか

〔御産所〕
京都市・京都御苑内

明治天皇の御産所・中山邸は、京都御苑の中にあり通常は非公開ですが、現在も塀越に拝見することができます。

中山邸 御産所
中山邸 御産所

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聖徳記念絵画館壁画「御降誕」(高橋秋華画)
聖徳記念絵画館壁画「御降誕」(高橋秋華画)

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御父孝明天皇とともに国の安泰を祈られた京都御所内の清涼殿

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中山邸跡に残る祐井

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中山邸跡近くの昭憲皇太后の実家一条邸跡には産湯に用いられたという縣井が残る

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