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聖跡のご紹介

明治天皇 絵画と聖蹟「第6回 大阪行幸諸藩軍艦御覧」

五箇條の御誓文が布告されてから一週間後、明治元年(1868)3月21日、明治天皇は大阪行幸を断行されました。2月の二条城行幸に続くもので(第4回参照)、京都外への初の行幸となりました。移動には慎重を期し、石清水八幡宮と守口の難宗寺にお泊りになりました。八幡宮ご親拝(しんぱい)は、文久3年(1863)御父の孝明天皇に続くもので、明治天皇は国の安泰を祈願されました。

行幸は、鳥羽・伏見の戦いで敗走した旧幕府軍を親征することが名目で、49日間に及びました。天皇は、本願寺の津村別院を行在所(あんざいしょ)と定め、3月26日に天保山(てんぽうざん)沖の海軍、4月6日には大阪城内の陸軍をご親閲になりました。

聖徳記念絵画館壁画「大阪行幸諸藩軍艦御覧」の絵は諸藩の軍艦による操練の様子を描いたもので、天皇は天保山に設けられた御座所で御覧になっています。海を御覧になるのは初めてのことでした。佐賀藩の電流丸の甲板では、聖護院宮嘉言親王(よしことしんのう)や藩主鍋島直大(なおひろ)が直立して御座所を望んでいます。

この日は、わが国初の観艦式が挙行された記念すべき日となりました。

*聖蹟に行ってみませんか*

〔天保山〕大阪市港区

天保山は日本一低い山として知られており、現在、軍艦を御覧になった場所には明治天皇行幸の記念碑が建てられています。

■大阪市営地下鉄大阪港駅から徒歩7分

聖徳記念絵画館壁画「大阪行幸諸藩軍艦御覧」(岡田三郎助画)
明治元年3月26日(1868年4月18日)天保山沖(大阪)
(右より2人目:佐賀藩主鍋島直大、3人目:聖護院宮嘉言親王)
明治天皇行幸の記念碑 
明治天皇行幸の記念碑 
大阪行幸の途次、慶応4年(1868)3月22日に天皇が宿泊されたのは守口市の難宗寺であった。
寺では、今も天皇の玉座(写真上)や錦旗(写真下)などが大切に保存されている。
難宗寺で保存されている錦旗
大阪滞在中、天皇は津村別院に宿泊された。天皇が用いられた水(御膳水)は、近くの「此花乃井」から供給された。
現在、井戸は大阪市立花乃井中学校の敷地内に、大阪市の史跡として保存されている。