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聖跡のご紹介

明治天皇 絵画と聖蹟「第10回 神宮親謁」

明治維新の最大の目的は、初代神武天皇を模範として天皇を中心とする近代国家を建設することにありました。わが国の独立をおびやかす欧米列強に対峙(たいじ)するために、近代国家を樹立することは不可欠なことでした。

明治2年6月、明治新政府は版籍奉還を行い、全国の藩の領地と領民が天皇へ返還されましたが、依然として旧藩主が藩知事として統治していたため、江戸時代とほとんど変わるところがありませんでした。

長州藩の木戸孝允(きどたかよし)や山県有朋(やまがたありとも)らは、藩を廃止して新たに府と県を設置する廃藩置県を立案・計画して、一挙に断行しました。

明治4年7月14日、皇城(皇居)に在京56藩の藩知事が召集され、明治天皇より「廃藩置県の詔(みことのり)」が下されました。詔には、国民の安泰を保持し、欧米列強と対抗するうえで不可欠の改革である、と定められています。ここに明治維新の大改革が達成されました。

廃藩置県の断行について英国公使は、仮に欧州においてこのような改革を成功させるには相当の年月が必要であり、天皇は「真神の能力」を有するご存在である、と驚嘆しています(『岩倉公実記』)。

*聖蹟に行ってみませんか*

〔宮殿(皇居)〕                   東京都 千代田区

「廃藩置県の詔」は、明治元年に皇居として定められた旧江戸城西の丸御殿で下されました。明治6年、御殿は焼失。跡地に建てられた新宮殿は、現在、正月の一般参賀で天皇・皇后両陛下をはじめ、皇族の方々がお出ましになる場所として知られています。

■東京メトロ千代田線「二重橋前駅」より徒歩5分

聖徳記念絵画館壁画「廃藩置県」(小堀鞆音(ともと)画)
明治4年7月14日(1871年8月29日) 紫宸殿代(ししんでんだい)大広間(皇居)
宮殿(写真提供:宮内庁)