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聖跡のご紹介

明治天皇 絵画と聖蹟「第13回 徳川邸行幸」

明治8年(1875)4月4日、明治天皇は東京の隅田川沿いにある小梅村(現在の墨田区)の徳川昭武(あきたけ)邸へ行幸されました。昭武は、水戸徳川家の当主で、15代将軍慶喜(よしのぶ)の実弟です。

天皇は、水戸藩の2代藩主光圀(みつくに)や幕末の九代藩主斉昭(なりあき)らの遺文や書画を御覧になりました。光圀は『大日本史』の編纂に取り組み、斉昭は藩校「弘道館」(こうどうかん)を作って水戸学の発展に尽力しました。明治維新の原動力となったのがこの水戸学です。

昭武をはじめ親族らは天皇への拝謁(はいえつ)を許され、親族の中には年老いた斉昭の生母の姿もありました。天皇は、光圀および斉昭の皇室尊崇(そんすう)の志を称え、先代の志を引継ぐようにとの勅語(ちょくご)を昭武に下されました。

聖徳記念絵画館壁画「徳川邸行幸」の絵は、天皇が昭武邸で満開の桜を御覧になっている様子です。隅田川では、たくさんの船が投網漁(とあみりょう)を御覧に入れました。天皇は次のような御製を詠まれています。

花ぐはしさくらもあれどこのやどの

代代のこころをわれはとひけり

 

満開に咲くさくらの花ばかりでなく、代々水戸家に伝わる尊皇の心に天皇は感銘を受けられたのです。

引き続き、天皇は旧尾張藩主をつとめた徳川慶勝(よしかつ)邸にも行幸され、宮城(きゅうじょう)へのお戻りは夜になりました。ここに、皇室と徳川家は完全に和解することになったのです。

*聖蹟に行ってみませんか*

〔水戸徳川邸跡地〕            墨田区

明治8年に行幸された徳川邸は現存しませんが、跡地である隅田公園には記念碑と明治天皇の御製碑が建てられています。御製碑を建てたのは、水戸徳川家13代当主の徳川圀順(くにゆき)です。

■都営地下鉄浅草線「本所吾妻橋」から徒歩5分

聖徳記念絵画館壁画「徳川邸行幸」(木村武山(ぶざん)画)
明治8年4月4日(1875年)徳川昭武(あきたけ)邸(東京小梅村―隅田川東岸)
〈明治天皇(中央)・徳川昭武(左)〉
明治天皇御製碑
明治天皇行幸所の碑