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聖跡のご紹介

明治天皇 絵画と聖蹟「第21回 下関講和談判」

明治28年(1895)4月17日、わが国と清国との間に講和条約が調印されました。

聖徳記念絵画館壁画「下関講和談判」の絵は、山口県下関の春帆楼(しゅんぱんろう)において、講和条約が調印される光景を描いたものです。

日本軍は、金州、旅順、威海衛など軍事上の要地を次々と陥落させ、北京に迫る勢いでした。明治28年2月、清国から講和の申し入れがあり、わが国はこれを受け入れ、講和談判が始まりました。

3月24日、第3回の談判を終えて引き上げる途中、清国代表の李鴻章(りこうしょう)が暴漢に狙撃されるという不祥事が勃発しました。

明治天皇は、国家間の信義を損なう振る舞いを厳に戒めよとの詔勅を発するとともに、軍医総監を下関へ派遣して治療に当たらせ、皇后は看護婦を派遣してお手製の包帯を下賜されました。

李の傷が癒えると、講和談判が再開され、4月17日の調印式を迎えました。条約には、清が朝鮮の独立を認め、遼東(りょうとう)半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島をわが国に割譲することなどが定められました。しかし、遼東半島は、ロシア・フランス・ドイツ三国の圧力によって、清への返還を余儀なくされました(三国干渉)。

天皇は、「国運ノ進張ハ治平ニ由リテ求ムヘク治平ヲ保持シテ克(よ)ク終始アラシムルハ朕(ちん)カ祖宗(そそう)ニ承(う)クルノ天職ニシテ亦(また)即位以来ノ志業タリ」との詔勅を出し、戦争の終結をお喜びになりました。

 

*聖蹟に行ってみませんか*

〔日清講和記念館〕  山口県下関市

講和会議で用いられた調度類や両国全権の遺墨などが展示されている。

■ JR下関駅より国道線バスで約10分、

「赤間神宮前」下車、徒歩約2分

 

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聖徳記念絵画館壁画「下関講和談判」(永地秀太(ながとちひでた)画)
明治28年(1895)4月17日
下関 春帆楼(山口県)
〈伊藤博文(向こう側右)・陸奥宗光(左)・李鴻章(手前右端)・李経方(左隣)〉
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日清講和記念館(再現された講和会議の部屋)