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聖跡のご紹介

明治天皇 絵画と聖蹟「第2回 大政奉還」

祐宮(さちのみや=後の明治天皇)は、幕末の動乱期に修学に励み、成長されました。ご生母中山慶子(よしこ)のしつけは厳しく、例えば20枚綴りの草紙2冊の習字が毎日の日課とされ、それが終わらないと昼食にならなかった、と回想されています。『孝経』『大学』『中庸』『論語』などの古典を声に出して読む素読が行われ、『論語』は四年間も続けられました。

万延元年(1860)、祐宮は皇太子となり、孝明天皇より睦仁(むつひと)の御名を賜りました。この年は、江戸幕府を取り締まっていた大老の井伊直弼が江戸城の桜田門外で暗殺された年でした。慶応2年末には急な病により御年35歳で孝明天皇が崩御(ほうぎょ※1)、14歳の睦仁親王が122代の天皇として即位されました。

慶応3年(1867)は、江戸時代最後の年です。薩摩藩と長州藩は、密かに盟約を結んで討幕を目指しました。他方、土佐藩は、新たな体制のもとで新しい日本を築きあげるべきとする坂本龍馬の意見を取り入れ、前藩主の山内豊信が朝廷へ政権を自発的に返還するよう15代将軍徳川慶喜に進言します。これを受け入れた慶喜は、10月13日、京都の二条城に諸藩の重臣を集めて意見を求め、翌14日、政権を朝廷へ奉還することを申し出たのでした。ここに、鎌倉時代から700年近く続いた武家の政治に幕が下りました。

※1崩御=お亡くなりになること

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〔二条城〕
京都市

二条城は江戸時代、徳川将軍家の上洛時の居城でした。15代将軍慶喜は二の丸御殿の黒書院で大政奉還の意向を示しました。

二条城の庭園は、明治28年の行幸に際して、天皇のご意向に従って作庭されたものです
二条城の庭園は、明治28年の行幸に際して、天皇のご意向に従って作庭されたものです。

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聖徳記念絵画館壁画「践祚」(川崎小虎)

慶応2年12月12日、孝明天皇は病によって崩御し、満14歳の皇太子睦仁親王が第122代天皇となられた。
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大政奉還

聖徳記念絵画館壁画「大政奉還」(邨田丹陵)

将軍慶喜が在京の重臣を集め、政権返還の決意を告げた。

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現在の二条城の全景。

昭和14年、史蹟名勝天然記念物保存法により、二条城は文部省指定の史蹟に指定された。
写真は、東大手門近くに立つ記念碑。